いつもお世話になっております。

痛々しい日記ですが何卒よろしくお願いいたします。

たまねぎ

新玉ねぎがうまい

在宅勤務で家にいるときが多いので水にさらして生で食べている

肉と組み合わせるとなんでもバーガーキングの味になってうまい

 

冷凍食品なんかの「死」の食事に「生」の玉ねぎを組み合わせることでトータルで「生」にもっていくことができる

 

 

 

 

このシステムについて詳しく話そうと思う。

 食事の主な役割は必要な栄養素を摂取することだと思うが、食事には栄養素以外にも生と死というステータスが割り振られている。

 

 わかりやすい例でいうと母親の作る家庭料理が「生」の要素をもち、カップ麺や冷凍食品などは「死」の要素をもっている。

これは単純に栄養バランスの良さに起因して生と死が割り振られているのではない。

 

 カロリーメイトはどうだろうか。カロリーメイトは栄養バランスに優れており、一日に必要な栄養素をほぼ全て含んでいる。では毎日カロリーメイト及びカロリーメイトでは摂取できない栄養素を補うサプリメントを飲食して暮らした場合、人は健康的な生活を送ることが出来るだろうか。答えは否であろう。

その理由は栄養が不足するからではない、カロリーメイトは「死」の食事であり、「死」の値が高まりすぎるからである。

 

他にも健康志向の外食産業として有名な大戸屋なども「死」のステータスを持っている。

これら「死」の食事が持つ共通点は製造過程がブラックボックスに包まれている点である。もちろんだからといって栄養表示が嘘であるだとか、大戸屋の野菜には栄養素が含まれていないなどというつもりは毛頭ない。

ここで大事なのはみずからの手で素材を選び、自らの手で調理することによる脳の認識である。

もちろん自らの手で選んだ素材の良し悪しについてなど疑い出すときりが無いのだが、少なくとも自分の納得行く食材で自分の納得行く調理を行うことで食事に対する「安心感」がうまれ、その食事は「生」の要素をもつに至るのである。

 

さらに素材の質がよくフレッシュであるほど生死のバロメーターは大きく生に傾く。

また自らが調理する以外にも自らの信頼のおける人間による調理でも同じ効果があると考えられる。これは母親の家庭料理が「生」であることの説明にもなる。

 

 さて、ここで生死のバロメーターという言葉が出てきたが、これは「死」の食事の有用性を語る上で非常に重要になってくる。

「死」は必ずしも悪いものではない。例えば毎日母親のつくる「生」の家庭料理を食べ続けている子供がたまたま「死」の食事であるスナック菓子やカップ麺を食べた場合、どのような反応を示すだろうか

 

 

飽きてきたし明日も仕事なので寝ます おやすみなさい